賛否から世界の今を見るブログ

賛成か反対か、見方が変われば目から鱗。時代の流れをちょっと覗いて見ましょうか。

「体操の採点で揉める中国、民度が低い」って本当ですか?

 

今回はオリンピックでも、やはり起きてしまいましたか。

橋本大輝の採点に中国からのSNS中傷

news.yahoo.co.jp

 

 

体操男子個人で金メダルを取得した日本の橋本大輝さんに対して、中国からSNSに誹謗中傷が相次いでいるようです。やはり中国の民度は低いと言わざるを得ないのでしょうか。みなさんのご意見を伺って見ましょう。

 

 

目次

 

 

 


【賛成派のご意見 確かに民度は低い】

なぜ直接本人に?意味わからん

オリンピックは国際大会なわけですから、しっかりとした国際審判員によって公正公平のもとに採点されたものだと思います。もし採点に文句があるのであれば、オリンピック委員会に向けて言えばいいと思いますが、直接橋本さんに文句を言ったところで、採点が覆されるとはとても思えない。文句を言う人の意図がまったくわかりません。

まあSNSなんで、やろうと思えばね、いつでもできるわけだよねー。がんばって戦った相手にエールを送る、のではなく、誹謗中傷を繰り返す。すみませんが、私は死んでも、かの国の植民地(占領地)にだけはなりたくありませんね。

民度が低い?まあそうなんじゃないかな。他に讃える言葉は見つかりませんし。社会主義と民主主義とで思想が違う、そのことはうっすらと分かっているつもりだよ。みんなで共にがんばりましょう!ってのが社会主義だよね、んなら、悔しかったけど共にがんばったね、って言えばいいんじゃないの?できないってことは…ねぇ。

スポーツマンシップのかけらもない

スポーツマンシップとは「スポーツをすること自体を楽しみとし、ルール厳守はもちろん、相手選手や審判・関連各位に対して敬い、正々堂々と全力をつくして競技する態度・精神である。」 ねえねえ、中国のみなさーん、これ、知っていましたか? ここには「お金」という字は書かれていませんよー、覚えといてねー。

日本は世界的にもスポーツマンシップが高い国だと思います。かの大戦だって、正々堂々と戦って散って行った尊い命がある一方、戦った相手国の方々をたくさん救ったとも聞く。主義主張は違えど、相手方を敬うこと、もう少し大事にされるよう、願います。

 


それからこんな意見もありました

可哀想だ

中国にはたしか、目上の人には「絶対」逆らってはだめ、という考えがあるんですよね?儒教でしたっけ?まああたしは詳しく知らないのですが、こういうことが起こる度に、あたしは可哀想だなぁと思うんだ。「人は生まれる国を選べない」。ほんと、選べたらいいのにね。

卓球に体操、中国は本当に強いよ、ええ認めますとも、本当世界一流です。なのになんでこうも民度が低いのでしょうか?私は、中国の選手達は万一に負けた時は、コーチや親族から口汚く罵られているのでは?と感じています。期待に応えてこそ「選手」、せっかく選んであげたのに負けるなんて、、可哀想だ。

 

 

【反対派のご意見 そんなことありません】

日本を真似ただけだ

今の日本の写し鏡です。失敗にしか目を向けないマスコミ、教育、そして政治でさえ、リスクを取らずにのうのうと責任逃れをするだけ。そういう日本に憧れた中国を、誰が責めることはできますでしょうか。一度このようなニュースが流れると、それみたことかと、民度民度がと言って、群がる群衆。どっちの方が、民度が低いのでしょうかね。

自ら国の品位を落としているですって?その言葉、そのままお返ししますわ。たかだか負けた相手の小言に、一斉に、一糸不乱に、ほとんどが同じ反応をしちゃう日本人がこれだけいる。この事実、民度が高い国民って言えるのですか?胸に手をあてて一度考えたらいかがかしら。

組織と個人は別

中国人ながら恥ずかしい。しかし日本のみなさんに知っていて欲しいのです。これが中国なのです。民度が低いのは一部だけなんです、その一部の人が上に立ってしまいますとこうなるんです。私は日本が大好きです。どうか日本の皆さんは、民度の低い人をあなたの国の政治家などにしないでください。

組織の影役者が暗躍してるかもしれません。気をつけてください。耐性のない個人に対して、周りからじわじわと攻め落とす、これは中国では立派な戦略の1つなのです。兵法に基づいて作られた拳法なんてその極みで、意表を突くのがその戦法なのですから。

 

それからこんな意見もありました

声が大きいだけです

あなたは人から期待されたことはありますか?中国では人(特に親族)に期待を込めすぎてしまうのは、普通なことです。できないやつを叱りつけるよりも、できるやつに引っ張って欲しいと、尊敬の念を込めてね。あなたは気に入らないことや失敗した時はどうしていますか?自分が至らなかった、そう悲しむだけではありませんか?それでは、文化の壁は越えられません。嘆き悲しみの表現が違うだけなのです。

電車の中で声が大きい?それは中国人ですわ。なぜに日本人はいつもいつも静かなのでしょうか、それ私、わかりません。楽しいはずの旅行も、見知らぬ土地に足を踏み入れても、スマホスマホ。隣にいるのにライン。話すときも目を合わせようとしない日本人は、好きにはなれないわ。

愚痴を言っただけで民度が低いときた。はいはい、悔しかったのね、って寛大な心を持って接するのが日本人じゃなかったん?中国人はそうしていますよ、まあまあ今日は酒を奢るから飲もうよってね。日本人は、そんなしょうもない失言にいちいち目くじらを立てて応えるのが「和」なんですかー、ほえーー。

 

 


【感想】

あの物差しで測った結果 VS その物差しはおかしい

今回の感想を言葉にすると、こうかな。

賛成派のご意見は、スポーツマンシップなどの世界的に見て一般的であろう事柄を基準に考えておられ、一方、反対派のご意見は、中国という一国側の視点に立ったご意見が目立ったかと感じました。

さて、私は2:8で反対派(民度は低いわけじゃない)ですかね。

私自身、すこーしの間だけだけど、中国には1回だけ行ったことがあります。かなり小さいごろでね、中学三年生だったかな。北京の万里の長城故宮などを探索してから、ど田舎の吉林市に赴きました。なんでも、親の友人のまた友人のまた友人が、そこに住んでいたらしく、せっかくなら会いに行こうってことで。いやー、違いましたね。なにもかもが。そこはもう日本ではありませんでしたね。

とにかく競争でした。バスに乗るにしても、お買い物にしても、さては映画館や遊園地のチケットでも、奪い合う風景が常でした。夕食のレストランでも椅子の奪い合い、道を歩くにも通せん坊がいたり、雨が降れば川を独占されて渡りたければお金をせがまれる。瓜ひとつ買うにも、売り手が違えば数倍も値段が違うのは当たり前。ああ、世の中にはいろんな人がいるんだなって、そう教えられた旅でした。

稀なる例外は除いたとして、価値観の違う人がこの世に存在していることを、もう少し受け入れたらいかがでしょうか。私は、そのように感じました。

 


みなさんはどう思いましたか?