賛否から世界の今を見るブログ

賛成か反対か、見方が変われば目から鱗。時代の流れをちょっと覗いて見ましょうか。

「土用の丑の日、うなぎの未来を」消費者が考える必要はありますか?

 

さて、昨日は土用の丑の日でした。ってことで今回はうなぎのお話。

 

おうちで楽しむ!うなぎ!

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結局、うなぎは食べてもいいの?

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うなぎは美味しい!これ常識!

しかし、、気になってしまうのが、このまま食べ続けたら絶滅するよ、というフレーズだ。乱獲・絶滅・密漁・これらの言葉を脳裏に思い浮かべながら、食べるうなぎのその味とは、どうなんでしょうか。

みなさんのご意見を伺ってみましょう。

 

目次

 

 

 
【賛成派のご意見 考える必要がある!】

貴重な水産資源は大切に

どのスーパーでもうなぎが売られていること自体が異常、貴重な資源を食い潰している印象でしかありません。うなぎはすでに絶滅危惧種に制定されています。それなのに市場に出回っているのはなぜか、考えたことありますか?なーにも考えずに目先のことしか見ていない、消費者がバカだからです。そうやって、毎年毎年、大切なものが失われて行く、あなたが買うからです。

今はネットの社会、ブラウザ開いて「うなぎ 現状」と検索ボタンを押せばすぐに関連情報は得られます。真実はすぐそこにあります。顔を背けないで、是非、うなぎの現状をその目で見ていただきたい。

スーパーの鮮魚売り場は「将来絶滅するかもしれない魚」の展示場になっています。日本伝統の寿司もこのままでは近い将来に必ず無くなります。いやそれだけじゃない「出汁」もいずれは無くなってしまうことでしょう。

無知は罪だ

よく専門家専門家っていうが、あの人たちは首根っこを摑まされた猫と一緒ですわ。資本家や政治家のいいなりですわ。こんな社会にしたの誰か、それは、我ら消費者にほかならない。我らが無知文盲に自由奔放に生活するから、彼らも我らに合わせて適当なことをやらかす。絶滅と嘆く前に、知識を付けることが大切だと思います。

安物の銭失い

日本っていつから安物を買う風習になったのでしょうか。「もったいない」は日本古来の文化で、物に対する尊敬の念を込めて、物を大切にいつまでも使い続けるというものだ。ハナっから二束三文で手に入れた物などに、果たしてどれぐらいの尊敬がありましょうか。あるわけがない。無くなったらまた買えばいいや、ってね。本当に残念だ。

100円ショップなんぞが出来るから、この世はもうだめだなぁと感じます。機械で大量に生産し販売する、環境なんでそっちのけ、残っても埋めればいい、あるいは、第三国に売っぱらってしまえ。命よりも銭、こんな世にしたのは誰だろうか。せめて自分だけでも、正しい行いでしたとそう思って、昨日は地産のアジを食べさせていただきました。ごちそうさまでしたと手を合わせて。

 

それからこんな意見もありました

エイリアンに頼もう

国を通り越して利益を追求しようとする、見境なくやってしまうのが人間ってなら、だったらもう、エイリアンに頼むしかないですね。青き地球は、一度、宇宙規模で侵略されたらどうですかね、はは。そうすれば我に返るかもしれませんね。生命がある星は未だ1つ。消費する我らがなーにもしないんなら、地球にとってはただの癌です。もう駆除しましょうか。

 


【反対派のご意見 する必要はない】

売られているのだから食べればいい

土用の丑の日に限らず、肉の日、鶏の日、魚の日、何かを食べる日はいっぱいあります。消費者は消費してこそなんぼではないでしょうか。消費者の代わりに生態系を管理研究しているのが専門家だと思っています。専門家たちのご意見を通って、食料や食材がスーパーに並ぶわけ、だから、難しいことは考えずに食べればいいのではないでしょうか。

絶滅?そうですね、個人の倫理観とか言われそうですが、んなこと言ったって消費者はその判断材料を持ち合わせていないって。TVではやばい!としか情報を流さないからね。日々の生活に加え、いちいち食べる物に対して、絶滅とかどうなるのとか、パソコンやスマホに向かって検索する作業って、正直めんどいわ。

組織の責任逃れだ

漁業に関して、水産庁に、全国漁業協同組合に、国際水産資源研究所などなど、非常にたっくさんの組織があります。これらの組織って日々何をしてるんっすかね。。消費者がいちいち地球のことや、資源のことを考えなくてもいいように、造られた組織じゃないんっすかね。。毎度毎度思うが、組織は責任逃れしかやっていないような気がします、しかもほとんどが我らの税金でだ。なんで消費者がその尻拭いをせにゃならんのだ?アホくさ。

うなぎは美味しいよ

昨日うなぎ食べました。昔思い出すなぁ。。あのさ、昔家の前に魚屋さんがあってな、うなぎの生け簀があってな、数え切れないうなぎが泳いでたなぁ。んで、店のおじちゃんにこれください!と母親と一緒に買いに行ってたな。家に帰ってな、さっそく炭火焼きだよ。じりじりと焼ける音に、下垂れる黄色い脂、自家製のタレをかけて食べるそのうなぎは、絶品以外のなにものでもなかったな。えがったなぁ。

絶滅するの?え?うなぎが?うっそだーい。。え?マジなの?ふーん。。まあそうなったらそうなったらで、しょうがないんじゃないか、そんな世の中だし。まあ、うなぎが無くなったら、穴子ナマズ食えばいいじゃんね、まだまだたくさんあるっしょ。そっかー、んじゃ、無くなる前にうなぎ食べておこうっと。

 

それからこんな意見もありました

中国産はだめだ

この前「国産うなぎ」というシールが貼られてたうなぎを買ったんよ、結果、めっちゃ不味かった。あとから分かったことだが、そのお店は産地偽装していたようで、実は中国産だったって。腹がたつやら悔しいやらで悲しくなった。シール1つでも信用が失われることをお店は知っていると思うだけどな。。消費者は馬鹿にされる存在なんですかね、今の世は。

中国のうなぎって、元は日本近海のものだと聞きました。あいつら日本に密漁して来てうなぎを掻っ攫い、自国?香港?に戻ってなに食わぬ顔で、薬ずけで太らせてから日本に売リ飛ばす。それを我ら消費者が食べている、舐められたもんだよなぁ。だから私は中国産は買いません。

 

 

【感想】

 一国は一人を以て興り、一人を以て亡ぶ

この言葉、みなさんはご存知ですか? 今回はそんな感想を抱きました。

1人の天才の出現によりひとつの国が生まれ、また1人の凡才の出現によりひとつの国が滅ぶ。という意味なのですが、我ら消費者はそのどちらの「1人」なのだろうか、やっぱり両方なのかな、うーむ。

難しいことはさておき、どうであれ、そういう風に「1人」に重圧をかけてしまうのが、今の世の中なのでしょうね。

私は、7:3で賛成派(うなぎの未来は消費者が考える必要はある)ですかね。

分業化、という意味で考えると、たしかに組織された方が専門的に対策を行えるので、とても良いことだとは思います。しかし、その組織された方々が「間違い」を犯した場合は、それを是正するのも我ら消費者である。民主主義とはそういうものなのかなと思いました。でも、めんどくさいんよね〜〜、ほんまに。

たかがうなぎ、されどうなぎ。

今の世の人間というは、首根っこを摘んでいないと、とにかく楽をする種族なのだと、そう思うほか、ないのかもしれませんね。

エイリアンに頼みたい!これ良いかもしれませんね。どんなエイリアンなのだろうか、やっぱ、タコかな。。うへー。

 

 

みなさんはどう思いましたか?