賛否から世界の今を見るブログ

賛成か反対か、見方が変われば目から鱗。時代の流れをちょっと覗いて見ましょうか。

【ヴァイオレット・エヴァーガーデン】「泣けるアニメ!」と宣伝するのはダメなのか?

 いよいよ今週末! 石立太一監督の監修で再構成された「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の「特別編集版」が、日本テレビ系の金曜ロ-ドショーで放送されます。非常に楽しみなのですが「泣けるアニメ」と宣伝することに賛否が出ているようだ。

対象記事:金曜ロードショーで異例の放送

mantan-web.jp

(息抜きかい? 息抜き会)

記事背景

ヴァイオレット・エヴァーガーデンとは?

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 公式サイト

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト

 原作は、ライトノベル作家の暁佳奈さんによる小説で、イラストは高瀬亜貴子が手掛けています。「自動手記人形」と呼ばれる代筆屋の少女を中心に繰り広げられる群像劇で、第5回京都アニメーション大賞の大賞受賞作。(by ウィキペディア

 私も本編を通して拝見させていただきました。うん、確かに、非常に感動した作品であります。戦場で両腕を失い、義手を付けることを余儀なくされたヴァイオレット・エヴァーガーデン、「愛してる」という言葉の意味を探しに旅に出るが…

日本テレビの金曜ロードに初登場

 この作品、日本テレビの映画枠「金曜ロードショー」に、深夜アニメとして他局で放送された作品を放送するのは極めて異例のようで、SNSでは驚きや歓喜の声であふれているという。

参考記事:金曜ロードシネマクラグ

いよいよ来週放送 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』 有名人から絶賛コメントが続々と! 鈴木愛理「“愛してる”を伝えられるって、すごい幸せ」|金曜ロードシネマクラブ|日本テレビ

 しかしなんでしょうかね。メディアだからなのでしょうか。わざわざ「必ず泣ける!」と宣言しなくてもいいのでは? と私などは思ってしまったのですが、世の皆さんはどう思われたのでしょうか。気になったので調べて観ました。

賛成派のご意見 感情の押し売りはやめたほうがいい 約30%

枕詞はいらない

「初めから『泣ける作品』とか『深夜アニメ』とか『ライトノベル原作』だとか、そういう情緒を添える言葉は、はずし方がいいかと思います。興味がある人は見て欲しい作品ですし、見れば自ずと目から涙は溢れることでしょうよ。」

泣きたく作品を観ているんじゃない

「『泣ける泣ける』って宣伝されてしまうと、そう観ないといけないという強要はちょっと困ります。心が痛くなる作品だったとしても、感じ方は人それぞれだと思います。強く立ち上がるその姿が美しいと思う人も、いると思うので…」

アニメは不協和音ではない

「洋画では『ドンパチや迫力』を、邦画では『精神攻撃』を、それぞれに特徴があるように、アニメでは『予定調和』が当てはまるかと思います。不協和音で奏でる実写よりも、ひとときの幸せが実る予定調和を欲しがるのがアニメファンというもの。前座はいらぬ!」

それからこんな意見もありました

ご冥福をお祈りいたします

京アニ放火事件から2年… 数々の素晴らしい作品を世に送り出したクリエイターたちの多くは戻ってこないのだという思いがよぎって、最後まで普通に観ていられるかどうか… だから『泣ける』よりも『生きる』という方に宣伝をして欲しかったな。」

反対派のご意見 そう宣伝することはよいことだ 約70%

泣けるのだからしょうがないじゃん

「戦う機械人形だったヴァイオレットは、戦争終結愛する人を失った。強い喪失感と空虚感を抱きながらも、代筆業を通じて沢山の人と関わりを持つうちに、生きる希望を紡いでいくというドラマ。『必ず泣けるアニメ』以外にどう宣伝しろと?」

良い映画には良いセリフがある

「『手紙なんて書かないで、いま私と一緒にいて!』や『死なないで、ほしかったなぁ』、『届かなくていい手紙なんてない』などの名台詞がこの作品にはあるのだ。もうこれだけで涙腺崩壊は間違いでしょう。宣伝しなきゃ損ってもんですよ。」

共感や共鳴は大事なことだ

「今の世の中は『泣ける』と言われてる作品を見て自分も同じように泣きたいって人も多いんじゃないですかね。作品を観て『私も泣いた』『私も泣けた』って浸りたい人はどうぞこの作品へ。ドーパミンがドバドバっと出まっせ。」

それからこんな意見もありました

本編を全部見るべし!

「今週は『特別編集版』として放送はテレビ初? で次週の『外伝』は地上波初放送? 何をのんきなことを。全12話のアニメ版本編はもっともっと泣けて感動出来ること間違いなしだから絶対見るべしです! わかったか? 見ろよな!」

調査結果・感想

泣ける作品であることは、間違いないようだ

 「泣ける!」と宣伝するのはダメなのか? について調査をしたところ、いいや「そう宣伝することはよいことだ」という反対派が約7割でした。

 宣伝するも何も「泣けるのだからしょうがないじゃん」。そうだよ、んなのしょうがないじゃんかよ、だって泣けるからな。じゃあなにか「『「ライデンシャフトリヒの戦闘人形」』が『自動手記人形』として後世をどう生きるのか?!」というキャッチの方がよかったのかい?

 一方、賛成派のご意見もわからなくもない。「泣きたくて作品を観ているんじゃない」、確かに。この作品を通して「泣き」「感動」もあれば、「愛とは」「生きるとは」これらのメッセージ性も確かにあるかと感じます。

私は、京アニのアニメってすごい、ですね

 京アニといえば、私は「足」を思い出します。「けいおん」や「メイドラゴン」のような「脚」もいいが、「ユーフォ」や「聲の形」など、他のアニメと比べて「足」のみのシーンが多いのが特徴かと思います。まあ個人的な主観はおいといて…

 アニメってなにが良いのか、私は、実写にある「雑音」がないからだと思います。実写だと、俳優さんやアイドルなどが演じるわけですが、その人の性格や生き様、はては家庭事情まで、作品とはうらはらに彼らの「現実」がチラつくというか。

 表情なんかもね、人間である以上、そりゃ十人十色で微妙に違ってきます。したがって、同じ「痛い」にしても「痛いって!!」もあれば「いてー」もあるように、演じる方が同じだったとしても、観る側の感じとり方は微妙に異なってしまいます。まあ、それが実写の良いところでもありますが。

 本題。「泣ける」と宣伝するのはダメなのか? 実写の場合、演じ方も感じ方も「十人十色」であるならそう宣伝するのは問題ないでしょう。むしろ、観る方向付けという意味ではそう宣伝してもらった方がいいのでしょう。だがアニメは違う。「雑音」が無いのが良いのであって、いらぬ先入観はちょっといただけないな。私の個人意見ではあります。はい。

みなさんはどう思いましたか?

参考記事:京アニ最新作 劇場版 Free-the Final Stroke

www.kyotoanimation.co.jp

いや…男は…