賛否から世界の今を見るブログ

賛成か反対か、見方が変われば目から鱗。時代の流れをちょっと覗いて見ましょうか。

「五輪初のトランスジェンダー選手」は不公平だと思いますか?

 

今回は、トランスジェンダーについてのお話です。

初のトランスジェンダー選手、歴史的出場

www.bbc.com

 

 

あと、この記事

jp.reuters.com

 

 

トランスジェンダーとは、生まれた時の性別と、自身の思う性別とが異なる人々を示す包括的な用語である。

今回の東京オリンピックトランスジェンダーを公表している選手として初めて、生まれた時の性別と違う性別で、ウエイトリフティング女子87キロ超級に、出場したとのことでした。

スポーツ界において、輝かしい歴史を刻んだのですが、ネット上では賛否が騒がられているようだ。

みなさまのご意見を見て見ましょうか。

 

目次

 

 

 

【賛成派 不公平でしょう】

体、違うって

その選手はかつては男子選手として活躍していた実績があるようですね。そりゃ体付きは本来の女性とは比べものにならないかと。しっかりと基礎体力を作り上げてから、女性になりましたってのは、どう考えても、体格差に開きがありすぎかと。

チームプレイならまだしも、個人プレイなんでしょう?しかもほぼほぼ身体ステータスだけで勝負する種目なんですよね?すみませんが、ちょっとインチキに感じます。あくまで個人的感想ですが。

いやいや、見りゃわかるべ。体格が違うって。

申し訳ないが、男性枠でだと出られなかったのに、女性枠でならオリンピックに出られたって、証明したことになるよね、これ。やっぱ不公平だよ。

女性差別に繋がりかねない

この方が代表で出場できたってことは、代表枠に入れなかった元来の女性がいるんだよね。なんだかねー、ちょっと可哀想かなと思いましたねー。女性の体と筋肉で、トランスジェンダーした元男に、ガチンコ勝負して勝つ、卓球ならいざ知らず、重量挙げでしょう?いやーちょっと無理があると思いますわ。

記事にある「テストステロン(男性ホルモン)の血中濃度が1リットルあたり10ナノモル未満であれば、外科手術なしに、女性の競技に出場できると明示している。」これは、ちょっといただけないな。こんなのルールにしちゃうから、生粋の女性でも出場できなくなるんだよ。ぶっちゃけ女性差別なんじゃないかな。
【東京五輪】 「女性じゃないとは言わせない」 ナミビアの陸上選手、200メートル出場へ - BBCニュース

思えば思い通りになるのは屁理屈

ご本人は純粋に「女性」として出場したかったと感じました。まあそれはそれでお疲れ様でしたと言ってあげたい。しかしだ、これをきっかけに、本来そうでなかった人たちが、あたかもそうであったかのように振る舞うのは、私はやはりどうかなと思います。なんかね「1%の理屈に99%が従う」そのような文化は定着して欲しくはないですね。それ、屁理屈と言いませんかね。

 

それからこんな意見もありました

ホルモン治療は必須となる?

女性でもテストステロンの値が高いと出場できなくなってしまう。そうすると今後は、ホルモン治療が必須になりますね。でさ、そんな治療したとして、その人は本来の力を発揮することができるのだろうか。また、その逆もで、基準内であれば男性ホルモンを打って、体を強くすることも可能となりますかね。はてさて。

数年後、男女混合はもちろん、+機械化OK+薬OK、になるんじゃないかい?いやいや漫画や映画の話しでなくて、きっとそんな世界はもうすぐやって来ますよ。まあ、そうなったらなったで、面白そうだけどさ。

 


【反対派 不公平ではない】


多様性によりスポーツは進化する

自分が自認する「性別」でオリンピックに出場する、このことはアスリートにとっては自然な欲求かと感じます。しかもこの方は、体の方はもちろん「性別適合手術」を施しているわけで、かつ、国際オリンピック委員会(IOC)が定める基準も満たしているわけだ。非難されるいわれはなく、感謝すべき存在だと感じます。

「身体的特徴における多様性を認めた」今回のオリンピックは、これだけでも素晴らしい意義を持ったことになるでしょう。LGBTQ+やジェンダーギャップの問題は、社会全体が差別や偏見を無くさなければいけないと思います。


一石を投じましたね

ルールに則って、条件をクリアして、参加したオリンピックだ、なんで文句を言われなアカンの? この人は入賞こそしなかったものの、オリンピックに参加できて、日本での開催に感謝を示しているじゃん!いい人じゃん!この波紋、もっと広がって欲しいですな。 


それからこんな意見もありました

妥協の産物

みんながあれこれ言うからさ、IOCもさ、妥協に続く妥協でさ、オリンピックはどんどん平凡になって行きますがな。アスリートの頂点を目指すとか、最高穂の戦いに期待するとか、もうそんなのヤメましょうよ。

誰にでも納得できるルールなんてのは、作れるわけがありません。人間が集まれば集まるほど、平均値に向かってしまいます。美人の定義だってそうじゃありませんか、最も平均的な容姿を持つ人が、美人なんだよ。抜きん出たスーパーなアスリートさんを楽しみたい方は、「プロ」を見ましょうね。

 

 

【感想】

極める一様性 VS 楽しむ多様性

一様性とは、揃っているあり様。

多様性とは、幅広く性質の異なるものが存在するあり様。

私は、8:2で賛成派(不公平でしょう)の方でした。

多様性、別名ダイバーシティ。ビジネス界においては、多様な人材、つまり、性別・年齢・国籍の多様な人のあり方を認め、価値観・ライフスタイル・哲学的思想なども、すべてを認めて、共に働くことをいいます。このようにして言葉で実際に「多様性とは」を書くと、当たり前のような気もしてしまいますが、こと、スポーツ界においてはどうなんでしょうか。

例えば、柔道では男子73キロ級や女子57キロ級などがあって、ボクシングではバンタム級やヘビー級などがあって、フェンシングにおいても剣の形状でフルーレ、エペ、サーブルがある。

「極める」ことがスポーツなのであれば、私は、やはり「条件面」はできるだけ揃えてた方が、いいように思います。その方がきっと公平公正なのだと感じます。

参考記事:「全ての人を納得させること」って可能なんですか?

sakuraikodama.hatenablog.com

 

しかしだ、世の中は変わるものだ。

オリンピックにおいてのスポーツとは「楽しむ」ことなのであれば、多様性を目指すことは、決して悪いことではないとも思います。そういう意味では、今の世は、多様性が始まったばかり、なのかもしれませんね。

 

 

みなさんはどう思いましたか?